


なんじゃもんじゃ くすのき こぷし
樹齢80~90年 樹齢百数十年 樹齢不明
(幹回り210cm) (幹回り280cm) (幹回り185cm)

三賞亭(煎茶の茶室) 豊彦稲荷社 灯篭
(大正7年茶屋町より移築)

池に架かった橋(幾つか在る内の三体
6月9日(土)雨
松坂屋の創始者15代伊藤次郎左衛門祐民(すけたみ)氏が、大正から昭和の初期に掛けて建てた、別荘「揚輝荘」北園が、公開されていると言うので、8人の女性が見学に行った。 地下鉄覚王山駅に集合し、歩き出した途端 ポツリ、ポツリと雨が降り出した。
「揚輝荘」では、ボランティアの方に、ガイドをお願いし、K氏が案内して下さった。後で解かったのですが、K氏こそ「揚輝荘」をガイドして頂くには、最適の方だったのです。
藤棚の下を通り過ぎると、15代伊藤氏が商売繁盛を願って、祈ったであろうと思われる、豊彦稲荷が在りました。私達も拝まして頂き、真っ赤な鳥居を幾つもくぐって、階段を下りて行くと、そこには、天を突く、幾つかの大木が、空を被っていた。上の写真の、なんじゃもんじゃ、くすのき、こぶしは、この庭園の三大名木なのだそうです。
そして今は、雨水がたまって居るだけの池ですが、そこには、屋根のある白雲橋が架かっていて、天井には龍が描かれているのです。又池のほとりには、茶屋町の本家から移築されたと言う「三賞亭」が、風流な佇まいを醸し出していました。
かつては、滝が流れ、きれいな水が満ち、魚も沢山泳いで居たと思われる池には、木を模ったコンクリートの小さな橋が、いくつも架かり、池泉回遊式庭園と言われる所以があり、遊び心が伺えました。
桜の頃、紅葉の頃、お茶会や月見の宴等々、皇族をはじめ、政、官、財、軍の要人や文化人が頻繁に訪れ、多くの人々との交流が有った事をお聞きし、如何許り華やかであった事かと、往時に想いを馳せ偲んだ事でした。
又、K氏が、祐民氏の人物像について 、暖かい口調で話された時には、私達も感動さえ覚えました。
祐民氏が、この覚王山の丘陵地に別荘を建てたのは、お釈迦様のお傍に居たいと言う、思いからだったと言うのです。日泰寺は、タイ国王からお釈迦様の「御真骨」を拝受し、建立された、日本で唯一の「御真骨」の在るお寺なのです。確かに「揚輝荘」は、日泰寺に隣接しています。
それから、55歳で松坂屋の社長職をきっぱりと退き、インドに渡り、お釈迦様の足跡を辿られた巡拝の旅をされたそうです。帰国後は、講演会や映写会を各地で開催したり、初の外国人留学生をシャムから迎え、タイ、ミャンマー、インドなど、アジアからの留学生も寄宿していたとの事です。
お金持ちの贅沢三昧で無く、社会に還元し、数多くの施設に多額のお金を寄付されたと、話して下さいました。
一万坪あったお庭は、今約三千坪しか有りませんが、一巡して受付に帰った時、他のボランティアの方が、K氏が、代々松坂屋の番頭さんのお家柄であった事を、教えて下さったのです。道理で、情の篭った愛を感じる話し振りであったのかと、又々皆んなでびっくりするやら、感心したり致しました。
「揚輝荘」こぼれ話の小冊子によると、伊藤家の先祖は、信長の家来であったとか、トンネルの事とかまだまだ興味をそそる、ミステリーなお話も沢山ある様です。今秋、北園、南園、建物の内部が公開されるそうですが、その時は、又皆んなで誘い合って、是非共見学したいと思います。
この貴重な文化遺産を、名古屋の宝として、憩いの場として大事に保全して下さる様、祈って止みません。
ガイドをして下さったK様、有難う御座いました。この次も宜しくお願い致します。


